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防塁 2

Posted by doru on   4 comments

誤り
元寇側はチンギスハーンではなくその子供のフビライハーンでした。

そして生の松原(いきのまつばら)に復元されている防塁

駐車場もなくしばらく歩かないといけない

2008-11-15c350010.jpg


振り返ると・・・観覧車

2008-11-15c350011.jpg


文永の役 
そもそもフビライは数度日本に使者を出したが全て無視され、最終的に武力侵攻を決定した訳です。
ま~無視しなくても向こうの考えは同じ事だったんでしょうけど・・
それが分かっていたから無視したのかな・・・
モンゴル人・漢人・女真人・高麗人など非戦闘員を含む3万人で来襲

このあとこの防塁を設置

2008-11-15c350009.jpg
 


弘安の役
再び礼部侍郎杜世忠を正使とする使者を日本に送るが、
北条時宗は鎌倉の龍ノ口刑場(江ノ島付近)で5名を斬首に処した。
これに腹を立て2度目の侵攻となる
元・高麗軍を主力とした東路軍4万と、旧南宋軍を主力とした江南軍10万、計14万の軍で侵攻

防塁がなかったら・・・・

正面から

2008-11-15c350012.jpg

見えているのは一部で、実際はほぼ倍の高さあるが砂に埋もれている。

実は三度目も本気で狙っていたが、元の内部でも反乱が続き、日本へ軍が出せる状態ではなくなり、フビライの死と共に完全に頓挫した・・・

防塁があって良かった。

Comment

kan says... ""
弘安の役ではこの防塁と日本が戦法を集団戦に対応
したので、ここを突破できなかったし、野戦の切込み
などで被害が多く、回り込んだところで・・・

でもおかげで「神風信仰」が生まれましたね。
第二次大戦ではそれの勝手な解釈で多くの若者が
死んでいったし、禍福は糾える縄の如しであります。

1.2枚目で周りの様子がわかります。膨大な
物なんですね。
2008.11.27 02:15 | URL | #mQop/nM. [edit]
MADAM says... ""
波打ち際の防塁は優れたアイデアですね。州浜を磯の岩場に変えてしまっていますから、
相手は舟艇接岸も重量物上陸も、歩行進軍も容易でなかったと思います。
そしてやっと上陸したとしても第二の擁壁防塁、これが石積みで高いときてる。
へとへとで戦意も失せてしまうでしょう。
そこで待ち構えて上から肥柄杓で煮えた油でもかければ、退散するしかないです。
神風と相手国の内乱という幸運もありますが、この防御は効果的で立派なもの、
先人の努力と知恵と熱い心に頭が下がります。
2008.11.27 09:07 | URL | #.Q7UDCiU [edit]
forester says... ""
蒙古襲来絵馬を見たことがあります。
火矢に苦戦する侍がかかれてのが記憶にあります。
遺跡として残されてるんですねー神風に頼らないでなんとかして欲しいです。
今の時代にも。
2008.11.27 10:23 | URL | #2ukxmIo6 [edit]
doru says... ""
kanさん、さすが良くご存知ですね!
まったくです、せつないです。

MADAMさん、夜を中心にゲリラ戦法で打撃を与えたようですね。
前回でそれがハッキリしていたので、2回目は徹底的にゲリラ戦法でやったようです。
そして暴風雨ですから、壊滅したそうです。

foresterさん、お昼にあちこち案内しないといけませんね。
夜専門ですから・・・(笑
2008.11.27 20:51 | URL | #- [edit]

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